論文がなんとか通りそうだ(今の雑誌なのか、また別の雑誌かは不透明だが)ということで、今のポスドク後のことを考え始めた、すなわち就活を始めた。

就活と言っても、ポスドクの就活は、日本の新卒のようにエントリー期間があって一斉採用される訳でもなく、企業から企業への中途採用のようにエージェントに助けてもらってスムーズに、という訳でもない。どこに行きたいか、何をしたいかによって、やり方は千差万別である。

そう、問題は、何をしたいかである。

そもそも、なぜ今のラボを出て、次のステップを踏みたいと思っているのか。

1. もう少しだけでいいから、研究者としての独立性が欲しい
ポスドクは、基本的には雇い主であるラボのボスの興味関心の範囲で、何か新しい発見をし、その結果を論文として発表することが求められる。仮に研究の途中で、自分の関心の方向が変わったり、違ったことがしたくなっても、ラボのボスがその方向を向かないのであれば、ポスドクにはそれを進めることはできない。
そして、ポスドクとしてどんなにいい発見をしても、その発見は対外的には「ボスの発見」である。極端な話、ポスドクが実験を計画し、試行錯誤して発見した成果がノーベル賞の対象になった場合、賞を受けるのはボスである。ポスドクではない。

僕は今投稿中の論文とは別に、新しいプロジェクトを始めている。そのプロジェクトのアイディアは100%僕由来なのだが、仮にこれが論文になっても、その成果は「ボスの成果」とみられるだろう。それはボスが悪いとかがめついとかではなく、単に科学界の暗黙のルールである。

そのルールは分かってはいるが、自分のアイディアの結実は、自分の作品として認めてもらいたい。研究者はクリエイターである。
認めてもらいたいのであれば、少なくともポスドクという身分は脱せねばならない。それがAssistant Professor(助教授)なのかどうかは、分からない。
(#) Assistant professorを助教と訳すのをよく見るが、誤訳であると言いたい。助教は研究者としての独立性がないので、英語ではresearch scientistまたはresearch associateに対応すると思う。


2. 今の職場(ラボ)で、学べることはほぼ学んだと感じている
3. プログラミングの技術をもっと深めたいが、今の場所はそれには適していない
上記の2つは、裏返しでもあり、内数でもある。
細胞のライブイメージングを中心に、今のラボでは多くを学んだ。しかしそれはラボに入って最初の2年までであり、ここ1年は、新しく学べることがなくなっている。
一方で、独学で学び始めたプログラミングは、目に見える、生物学的な発見をもたらすまでになっている。綺麗なプログラムを書いてそれが思ったように動いたときの快感は、昔、算数や数学でシンプルで美しい解法で答えを出したときの快感ととても似ている。やや中毒性があると思う。おそらく本能的なものである。

プログラミングが、キャリア形成において武器になるという実際的な利益は知っているが、その利益を超えて、自分の欲求として、もっとプログラミングのレベルを高めたい。そのためには、プログラミングの先達たちに囲まれた環境の方がいいだろうなと思う。


就活をしたいと思う理由はこれだけである。この理由を踏まえると、Assistant professorという、ポスドクの「従来の」ネクストステップは、自明の帰結ではないように感じる。理由1には合致するが、2と3には明らかに合っていない。
ただ、「成功した、優秀なポスドクはAssistant professorになるのが当然である」という、50年間変わっていない価値観を間に受けているだけではないだろうか。20世紀の価値観を、2022年にもなって吟味もせず間に受けるのは、観察対象を疑うことを是とする研究者としての態度としては、どうか。

ではもう一度聞くが、何をしたいのか。あるいは、何になりたいのか。
日本の国立の研究所にあるような、教授ではないが主体性を持って研究をしている研究員のようなポジションは、ぱっと思いつくものである。

他には、企業の研究員もあり得るだろうか?独立性や自由の程度は会社によって異なるだろうが、会社という場所は、多様な人が一つの目的のもとに集まっている。お互いのことはそれほど好きではなかったり、尊敬はしていなくても、金銭的利益のために全力を尽くして働き、助け合う。少なくともコンサルはそうだった。
GoogleやMicrosoftのような大企業から、新興企業まで、IT系の会社が生物学に出ている。そういう場所も、検討の価値はあるのかもしれない。

まさか、第二のポスドク?それは珍しい選択肢ではないが、精神的にも、リスクを伴うと思う。


どれが最良の選択肢かは、分からない。おそらく、次の行き先が決まったとしても、分からないだろう。そもそも取らなかった選択肢が良かったかどうかなど、パラレルワールドのもう一人の自分と比べなければ分からないのである。
今できることは、少しずつ、それぞれの選択肢に、「ちょっかい」を出してみることである。それで返ってきた感触で、また考えも変わっていくだろう。


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