と問われた時に、1文で(1行で)答えられるかが、独立した研究者すなわちラボのボスになれるかどうかを左右するという話を、8つ上の先輩から聞いた。

何の研究者なのかって、そんなの聞くまでもないんじゃないの?と思われるかもしれない。確かに、私は「細胞生物学者です」「遺伝学者です」といったレベルや、もう一段具体化して「〜病の研究をしています」「ゴルジ体の研究をしています」といったレベルなら説明に困らないだろう。

ただ、ここでいう何の研究者なのかという問いは、そんな情報量の少ない肩書きの話ではなく、もう少し踏み込んだ、「ああ、彼/彼女はその研究で世界と戦っているね」と言わしめるような研究内容のことを指す。

昨日、大学院時代の研究室の卒業生のzoom飲みで久々に話を伺ったその先輩(Pさん)は、某国立大の助教、そしてイギリス有名私立大学のポスドクを経験し、すでにNature系やCell系の姉妹誌にも筆頭著者の論文を持つような、少なくとも業績ではラボのボスにすぐになれそうなキャリアの持ち主である。

しかしそんなPさんでも、いざラボのボスになろうとして就活をすると、結局オファーを得ることができなかったとのこと。

なぜか。

Pさん曰く、単に業績があるだけではダメだと。業績欄の論文の、掲載雑誌のインパクトファクター(雑誌のレベルを表す最も一般的な数値。数値が高ければ高いほど、ハイレベルな雑誌とされる)を合計して何点以上ならボスになれるとか、一部で言われるような神話ほど単純ではないと。

一定レベルの雑誌に掲載されることはもちろん大事だが、それよりも大事なのは、「自分が研究者人生を捧げて研究したいのはこのテーマであり、そのテーマに迫るために『一貫して』研究を積み重ね、その積み重ねの結果が論文の業績に反映されている」ことだと。

これは実は、そう簡単なことではない。
ボスになるまでは、基本的には大学の助教やポスドクといった形で誰かに雇用されているので、研究の分野こそは自分で決めたとしても、研究のテーマはその雇用主のボスの意向が色濃く反映される。
自らがボスを選べるような、つまり引っ張りだこな人材ならともかく、なんとか業績をつないでラボを転々とする「普通の」若手研究者であれば、その間に業績が増えているとしても、その業績の間に、一貫した「これが私の研究の世界観」といったものが確立されにくいのである。

Pさんのような業績の持ち主でも、実際はその時々の所属ラボのボスの色がついた研究の結実に過ぎず、まだ「これが自分の研究」といったものができていない、そしてその点を就活中に複数のシニア研究者たちに指摘されたという話を聞いて、その場にいた一同は衝撃を受け、そして同時に何となく腑に落ちた。ああ、そういうことかと。

確かに、今の30、40代のアメリカの若手研究者で自分が知っている「最近ボスになった人」は、もちろんCellやNatureなどのような超一流雑誌が業績欄を飾る人もいる。おそらく半数くらいだろう。

しかし実は残りの半数くらいは、実は自分のボスもそうだが、中堅どころの雑誌の業績にも関わらず、その論文をタネに夢を語ることができている人たちであるように感じる。
(コロナパンデミック以来、オンラインのセミナーが増え、そこではボスになりたての人が発表することがしばしばある。彼らは皆、業績の雑誌レベルに関わらず、夢を語るのが上手い)


誰かの下で働きながら、自分の夢を育てる。
それは難しいように聞こえるが、NatureやScienceに論文を出すよりは容易にも思う。一流雑誌に出るような論文を書くには、発見にぶつかるための運や、雑誌の編集者や査読者などの複数の要素が絡む。
一方、夢を育むための壁は、自分の好奇心の浮き沈みを除けば、あとはボスと本音を語れる関係を築きながら、夢に繋がるような研究に、共に同じ方向を向けるか、つまり相手は一人の人間に絞られるからだ。


では、自分は何をしたいのか。
ポスドクの本来の目標は、それを結晶化することなのだろう。本当は。


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