最近、ボスと一緒に小さな論文解説記事を書いた。
論文解説記事は、英語ではCommentaryとかPerspectiveとか、掲載される雑誌によって様々な呼び方をされる。
要は、最近出た大きな論文について、その論文の著者とは無関係の第三者の研究者が「最近、こんな論文が〜雑誌に掲載されました。その論文はこれこれこういうことを証明していて、それはこんな意義や意味合いがありますよ。今後これこれの展開が期待されます」的なことを書いた文章である。

似たようなものに総説(Review)というものがあるが、総説は特定の論文についてではなく、より大きな、ある研究分野についてのこれまでに分かっていることと今後課題になることを書いた文章なので、解説記事(Commentary)とはちょっと違う。一般に、総説はA4で3ページから10ページくらいの長さだが、解説記事は2ページ程度である。

2月の中旬に急にボスから「こんなCommentaryの依頼が雑誌から来たんだけど、一緒に書いてみたい?」とメールが来た。もちろん断る理由も権限もないので「はい、喜んで」と3秒で返信した。
断る理由も何も、むしろボスが自分を信頼してくれて、僕の名前が世に出る機会を与えてくれるのだから、それは喜んで受けて当然と自分は思った。

その後、約1ヶ月に渡り執筆を行い、一昨日、日本に帰ってくる直前に投稿した。
その過程で学んだことは実務的なことから精神的なことまで多くあるが、精神的なもので一つ挙げるとすれば「英語のネイティブスピーカーにとっても、英語で科学的な文章や論文を書くのは大変なことなんだ」ということだった。
(自分のボスはネイティブスピーカーである)

「はい、喜んで」と返信をしたのが2月の18日で、そこからの展開(細かいので飛ばして読んでもいいです)
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2/19: ボスと書き方の方針を話す。とりあえず、まずは僕がたたき台を書くことに
2/19 ~ 24: 解説対象の論文と、それに関連する論文を読み込む。今回の論文の内容について、ボスは半分素人、僕は全くの素人なので、一から勉強。
2/25: 勉強した内容を元に、ザーッと下書きを書く。こういうときは、手書きで紙に書き下ろすのが一番速い。
2/26: 昨日書いた内容を活字に起こす。起こしながら修正。ボスに渡す。
3/2: ボスの修正が入る。おおむねいい感じなので、明日、2人で一緒に直していこうとなる。
3/3: ボスと隣に座り合って原稿を修正、加筆。だいぶいい感じで、7割方完成に近そう。「来週には投稿できるんじゃない?」と上機嫌。
3/4~7: しばらく放置
3/8: ボスによるさらなる修正。少し大胆に直しすぎな気もする?この辺から雲行きが怪しくなってくる。
3/11: ボスと隣に座り合って3時間ほどかけて修正。「さらに良くしよう、もっと良くしよう」という欲のためか、だんだんと文章が変な方向に行き始めることに2人とも苛立ち始める。
3/12~3/15: ボスと遠隔で共同作業で修正。なんとか軌道修正しつつあるが、コロナウイルスのせいで慌ただしくなり、作業効率が上がらない。
3/19~21: ボスとの遠隔作業final. 最後は、ボスが力技で辻褄を合わせて完成に持って行き、投稿。
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一般に、日本人は英語の論文を書くのが苦手である。それなりに研究成果を上げている一流の研究者でさえも、自力では書ききれず、最後はネイティブの校正屋に依頼して表現や文法を1文1文チェックしてもらっている。
ネイティブの校正屋の注文に四苦八苦しながら対応する周りの日本人研究者を見て、なんとなく、「きっとネイティブは自分たちみたいな苦労はなく、スムーズに書きたいことを書いて論文にしているに違いない」なんていう幻想を抱いていた。

しかし、今回ボスと膝詰めで共同の執筆作業をして(特に上記の3/11以降)、上記の幻想は完全に崩れ去った。ネイティブだろうと日本人だろうと、英語で文章、特に科学的文章を書くのは本当に血の滲むような作業なのだと思い知った。
論文に限らず、一般に文章の要素は以下のようなピラミッド構造になっている。
1. 「言いたいこと、主張」:何が言いたい文章なのか
2. 「論理の構造と展開」:どういう論拠を、どのような順番で並べるか
3. 「章もしくは段落の順番と展開」:どの章や段落を、どのような順番で並べるか
4. 「段落内の文章の順番と展開」:段落の冒頭と締めの文は何で、間にはどのような文が来て、それらはどのような接続詞で繋がるか
5. 「文章内の主語と述語の順番」:何を主語にし、何を述語にするか
6. 「主語と述語およびそれを支える周辺表現の語彙の選択」:どのような語彙を用いるか

冷静に考えると分かるのだが、ネイティブとノン・ネイティブとで明らかに差があるのは、最後の「表現方法と語彙」の豊富さだけである。
他の要素、何を言うか/言わないか、どのような順番で並べるかという点に対しては、その言語への習熟度はあまり関係がない。

そして、論文や今回の解説記事執筆で最も苦労するのは、「何を言うか/言わないか」「どの文をどの文の前/後にするか」と言う点であり、その点ではネイティブだって七転八倒して頭を捻るのである。
「この点に言及すると誤解を招くよね〜。でもなかったら繋がらないし面白くなくなる。。ああ、どうしたらいいんだ〜」とか
「この段落を先に持って来ると、元の論文と整合性は取れるけど、多分読者は行ったり来たりを強いられる、、うーーーん」とか。

あと、ネイティブと差があるはずの語彙についても、実はネイティブだってそれほど「快適に」扱えている訳ではない。確かにネイティブは、我々がなかなか思いつかないような表現をパッと出して来て「おおー」と思うこともしばしばある。しかし、彼らも、少なくとも自分のボスは、「誰でも知っている表現」のうちのどれを使用するか、あるいはどう使用するかで相当悩んでいた。

我々日本人が日本語の文章を書くことに苦労するのと同様に、ネイティブだって英語の論文を書くのに苦労している。考えてみれば当たり前のことを、自分の目の前で実際に「もっといい表現はないかしら」と頭を捻っているネイティブスピーカーのボスの姿を見て、実感として知れたことは、今回の執筆の収穫の一つである。

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