明日、日本に一時帰国するので、なんとなく、部屋を片付け、ゴミを捨て、一つの「区切り」を付けた。
空になったゴミ箱を床に置き、ふと窓の外を見ると、いつも通りの、しかし今日はなぜだかすごく愛おしい、夕空の景色があった。

ふと、「自分がイェールを辞め、このニューヘーブンを去る時は、どんな気分なのだろう」と考えた。

自分の人生にいつか終わりがあるように、「研究者人生」にも必ず終わりがある。

自分は、今の予定では向こう4年半はここにいる。しかし、その後のことは分からない。成果がろくに出ず、あるいは、何か別の事情で、研究者を「再び」辞める決意を向こう4年半のどこかでするかもしれない。

まともな神経であれば、「キャリアプラン」の名の下、この5年で何々の成果を上げ、その後は何々のポストに応募して、と、5年後のその先のことを「計画」するのだろう。

それは理屈で考えれば正しいあり方なのかもしれない。

ただ、人生にいつか終わりがあることを認識しながら生きることで生きることが愛おしくなるとよく言われるように、研究者として生きることができるこの時間も、終わりがあるということ(そしてそれは人生の終わりよりはかなり現実的にすぐそこにあり得るということ)を直視して、今目の前の瞬間、実験ノートを書く時間、論文を探す時間、ボスとディスカッションする時間を過ごすことで、今のこの研究者としての時間が輝くのではないかと、そう感じた。

別に、立派な成果を上げて、立派なポストを得なくたっていいじゃないか。自分が心から愛せる謎に、正面から向かってこうよ。

でないと、4年半後、今日と同じような夕日を見ながらニューヘーブンを去る時、きっと「なぜずっと目に見える成果ばかりを追って5年間を過ごしたのだろう」と、後悔をすることになるだろう。


-----------
コメントあれば右下の「コメント」リンクからぜひお願いします。
-----------
↓↓↓↓より多くの方に当ブログを知って頂くために、ブログランキングに参加しています。下のボタンのクリックが、当ブログへの応援になります。
にほんブログ村 科学ブログ 生命科学へ
にほんブログ村